水曜日は、ご迷惑をおかけしまして、大変申し訳ございませんでした。
そのお詫びと言っては、大したものではないのですが、先日得た知識を、ちょっとお話ししたいです~
某月某日、都内某所にて、マリー・アントワネットの、美術品についてのお話を聞いてきました。
ベルばらでも描かれていますが、アントワネットさまは自由奔放!それまで、ヴェルサイユで、形式に則られたものを次々と、自分の好みに合ったものに変えていきました。
それは、だいたい1770年後半から発揮されてきたようです。自然派志向の波・・・と、言われますが、私が想像すると、自然志向=質素。などとなってきますが、アントワネットさまの場合は全く逆!
アントワネットスタイルは、先ずは、流行に敏感である事。アイディア豊富。金額に制限なし!納品は早急に。
何処が、自然なの~と言いたくなってきますが、そこは王妃様、庶民とは違います。
色々な装飾品、衣装の生地について、建築様式、家具のデザインなどいろいろありますが、今回は、その中のほんのちょっとだけ、書きますね。
アントワネットさま1778年第一子妊娠(マリー・テレーズですね。)を機に、ヒールの靴を止めたそうです。それまでは、親指1本半分(手の指です)の高さのヒール・・・7―8㎝位かしら、の靴を履いていたそうです。この頃の靴は、左右の区別が無いと聞いています。とても歩きにくかったのではないかと思います。因みに、現代の様に左右の区別が出来たのは、19世紀だそうで、ただ、19世紀と聞いただけで、100年間のどの辺りかは定かではありません(勉強不足でごめんなさい。)
さて、ジュエリーですが、その頃までは、全ての物が『夜のシャンデリアの光に当たって輝く』事を第一に作られてきました。新しいもの好きのアントワネットさまは、昼間に『太陽の光によって輝く』ジュエリーを欲しい!と思いました。
それが、写真のアントワネットさまのウエストの左右に下がっている、ジュエリーです。デイジュエリーと呼ばれていたそうです。これは、下の方が丸環(と言うのでしょうか、)が、付いていて、鍵、時計、裁縫道具などをぶら下げたそうです。
それまでのジュエリーは、昼夜を問わず、身に付けられていましたが、このデイジュエリーは、昼間のみのモノ。夜には身に付けませんでした。
私が撮った写真も載せますが、これは、その日のセミナーの先生個人の所有物で、1780年代当時の物です。素材はスチール。中心の陶器部分は、セーブルかお聞きするのを忘れてしまいましたが、ウエッジウッドのジャスパーウエア風になっています。裏表で、違う模様になっています。鎖のようになっている、スチールの部分は、カットが細かく、う~~ん、日に当たったらどんなにキラキラとしてキレイだったかしら・・・・・と、妄想炸裂!これを、お金に糸目をつけず、素早く納品させる・・・もう!王妃様ったら!
子供服について、少しだけ。それまでは、男の子は3歳までは女の子の服を着せられていました。それも、『子供は小さな大人』と、大人の服の小さい版を着せられていたのを、子どもは子供らしくと、子ども服を着せ、息子(多分、ルイ・ジョゼフ)には水平ルック(庶民にはすでに広まっていた長ズボン)を着せたそうです。
ちなみに、あるがままに生きるすばらしさ。子供は子供らしく・・・はJJ・ルソーの影響です。これはちょっと、その後の運命を思うと複雑ですね。
で、最後に、ご存じの方も多いと思いますが、
ローズ・ベルタンが破産宣告をしたのは、1787年だそうです。
写真が縦にならないで、ごめんなさい。